午後からはひたすたぼ〜っと寝たり座ったりしていました。
夕食だけは昨日作ったカレーうどんの残り汁でカレーを作りましたが。
何にもしないこと、やっぱりこれが一番楽ですね。
テレビも見ず、本も読まず、パソコンもいじらず(点けてはいましたが)、ひたすら何もせずにいれば、刺激が入ってこないですから余計なことを考えずに済むようです。
楽しもう、暇をつぶそうと何かをしようとすると、結局出来なくて落ち込んでしまうんですね。
ちょっとやって楽しいと思わなければやらなければいいんです。
今日は出来ないんだ、また明日なら出来るかもって出来る時に、楽しめそうな時にやればいいんだと思います。
今まで出来ていた趣味ができなくなればやはり落ち込みます。
できないならしなくていい、したいときだけ何かをすればいい、そう思えるようになりました。
(今日だけかもしれませんが)
したいことが出来て、実際にやったら途中で終わったりやめてしまうこともあります。
でもできないなら今はしたくないんだなって、やはりぼ〜っと状態に戻ることにしました。
昔元気だった頃、暇なぼや〜っとしている時間が至福のときだったような気がします。
それを忘れていたんですね。
今は何かをしていないと落ち着かないと言うスキーマ(自動思考)が出来上がっていて、何かをしなくちゃと何かしらやることを探していたような気がします。
何かをして、気を紛らせることもいいですが、何もせずぼや〜っとしてるのもいいみたいです。
実はこれを書きながらも、ぼや〜っとして途切れ途切れで書いていますw
自然に言葉が出てくるまで、ぼけら〜な状態だったりします。
そういえば昨日紹介した本に、不安な時は頬をなでてみると言うのがありました。
これも意味の無い行動をしてそちらに集中させることで不安と言う考えを拡散させると言う方法なのでしょうね。
ついさきほど、認知療法の本が届きましたが・・・なんとなく読む気がしないので寝るまでやはり、ぼけらっとしていようと思っています。
なんて呆けの事を書いていたら何気に長くなってしまいましたねw
ぼけ〜〜〜〜っ・・・・・・とします。
呆けてようと思いましたが、ぼ〜っとしていたときに思いついたことを書き留めておきます。
うつ状態というのは、不安や体の疲労からくるものです。
体の疲労は休むと言いますか寝るしかないのですが、それを不安が邪魔をしていて繰り返しや落ち込みなどの"思考"が頭から離れられなくなり、不眠や体調不良などがさらにひどくなっていきます。
ではこの不安と言うものをどうにかできないかと考えたわけです。
不安と言うのは安らぎが無いこと、未来ことや過去のことから連想される心配から安らぐことが出来ないことにより発生するものです。
(独自理論です→たぶん)
さて、安定した事と言うのはあるのでしょうか???
絶対や完璧ということが、それを否定することでしかありえないように(絶対が無いことは絶対)、安心と言うものもありえないことなのではないかと考えました。
未来は予想はできても予知は出来ない不確定なもの。
不安と言うのは未知のものを考えようとするから出てくる発想なのです。
考えても分からないものは分からないし予測もつかない。
だから考えなければいい。
かなりいい加減ですが私はこういう結論に達しました。
だからぼ〜っとしてたんです。
それでも考えることは止まらないので、色々と考えてしまうことも避けられないんですけど。
必要の無い考えだから切り捨てるっということができれば一番良いんですけど、そこまで悟っていません^^;
でも不安の無い人というのもこれまたいないと思うんです。
不安の無い人がいたら、それこそ神か悪魔か予知能力者か?!
不安を避けようとすると、逆にカビのようにこびりついてくることもあるので、心の片隅に留めておいて、対処を考えておくとか、不安が的中しなかったらラッキーとか思うのもいいのかもしれません。
もうひとつ考えたことは、勝ち組や負け組みという言葉について。
勝敗のつくルールにのっとったものなら、勝ちや負けはいいんです。
でも"勝ち組"や"負け組"と言った場合にはまったく意味合いが違います。
そもそも人間の社会においての"勝ち"や"負け"というのは相対的でありつつ主体的でもあるんです。
だれそれと比べて、これは相対的ですね。
でもその比べる基準は自分であるのですから主体的なんです。
それも他者の一部分を見て判断しているわけですから、主題的以外の何物でもないことになります。
いわゆる社会的に成功している、お金を持っている人が、勝ち組と言われるのが一般的だと思われます。
でも果たして、社会的に成功していても、お金を持っていても"勝ち"ということになるのでしょうか。
仕事に追われて、汲々の人もいるだろうし、家庭がうまくいってない人もいる。
それは負け組とされている人にもあるのでしょうが、逆に金銭がなくても家庭がうまくいっている人もいます。
さて、どちらが勝ちでどちらが負けなのでしょう?
比較は出来ませんよね。
言葉に踊らされレッテル付けをして格差をつけようという意図が見え隠れしているように私には思えます。
勝ち負けではなくて、その個々人の充足度だと私は思うんです。
競争社会という戦争に巻き込まれて、劣等感と優越感の間で揺り動かされているのが今の私たちではないでしょうか。
それが自分の価値という面で現れてくると思うんです。
一部分が劣っているからといって、全てが劣っていると言うことはありません。
そう思い込むように世間に、世情に思考を操作されているだけなんです。
夕食だけは昨日作ったカレーうどんの残り汁でカレーを作りましたが。
何にもしないこと、やっぱりこれが一番楽ですね。
テレビも見ず、本も読まず、パソコンもいじらず(点けてはいましたが)、ひたすら何もせずにいれば、刺激が入ってこないですから余計なことを考えずに済むようです。
楽しもう、暇をつぶそうと何かをしようとすると、結局出来なくて落ち込んでしまうんですね。
ちょっとやって楽しいと思わなければやらなければいいんです。
今日は出来ないんだ、また明日なら出来るかもって出来る時に、楽しめそうな時にやればいいんだと思います。
今まで出来ていた趣味ができなくなればやはり落ち込みます。
できないならしなくていい、したいときだけ何かをすればいい、そう思えるようになりました。
(今日だけかもしれませんが)
したいことが出来て、実際にやったら途中で終わったりやめてしまうこともあります。
でもできないなら今はしたくないんだなって、やはりぼ〜っと状態に戻ることにしました。
昔元気だった頃、暇なぼや〜っとしている時間が至福のときだったような気がします。
それを忘れていたんですね。
今は何かをしていないと落ち着かないと言うスキーマ(自動思考)が出来上がっていて、何かをしなくちゃと何かしらやることを探していたような気がします。
何かをして、気を紛らせることもいいですが、何もせずぼや〜っとしてるのもいいみたいです。
実はこれを書きながらも、ぼや〜っとして途切れ途切れで書いていますw
自然に言葉が出てくるまで、ぼけら〜な状態だったりします。
そういえば昨日紹介した本に、不安な時は頬をなでてみると言うのがありました。
これも意味の無い行動をしてそちらに集中させることで不安と言う考えを拡散させると言う方法なのでしょうね。
ついさきほど、認知療法の本が届きましたが・・・なんとなく読む気がしないので寝るまでやはり、ぼけらっとしていようと思っています。
なんて呆けの事を書いていたら何気に長くなってしまいましたねw
ぼけ〜〜〜〜っ・・・・・・とします。
呆けてようと思いましたが、ぼ〜っとしていたときに思いついたことを書き留めておきます。
うつ状態というのは、不安や体の疲労からくるものです。
体の疲労は休むと言いますか寝るしかないのですが、それを不安が邪魔をしていて繰り返しや落ち込みなどの"思考"が頭から離れられなくなり、不眠や体調不良などがさらにひどくなっていきます。
ではこの不安と言うものをどうにかできないかと考えたわけです。
不安と言うのは安らぎが無いこと、未来ことや過去のことから連想される心配から安らぐことが出来ないことにより発生するものです。
(独自理論です→たぶん)
さて、安定した事と言うのはあるのでしょうか???
絶対や完璧ということが、それを否定することでしかありえないように(絶対が無いことは絶対)、安心と言うものもありえないことなのではないかと考えました。
未来は予想はできても予知は出来ない不確定なもの。
不安と言うのは未知のものを考えようとするから出てくる発想なのです。
考えても分からないものは分からないし予測もつかない。
だから考えなければいい。
かなりいい加減ですが私はこういう結論に達しました。
だからぼ〜っとしてたんです。
それでも考えることは止まらないので、色々と考えてしまうことも避けられないんですけど。
必要の無い考えだから切り捨てるっということができれば一番良いんですけど、そこまで悟っていません^^;
でも不安の無い人というのもこれまたいないと思うんです。
不安の無い人がいたら、それこそ神か悪魔か予知能力者か?!
不安を避けようとすると、逆にカビのようにこびりついてくることもあるので、心の片隅に留めておいて、対処を考えておくとか、不安が的中しなかったらラッキーとか思うのもいいのかもしれません。
もうひとつ考えたことは、勝ち組や負け組みという言葉について。
勝敗のつくルールにのっとったものなら、勝ちや負けはいいんです。
でも"勝ち組"や"負け組"と言った場合にはまったく意味合いが違います。
そもそも人間の社会においての"勝ち"や"負け"というのは相対的でありつつ主体的でもあるんです。
だれそれと比べて、これは相対的ですね。
でもその比べる基準は自分であるのですから主体的なんです。
それも他者の一部分を見て判断しているわけですから、主題的以外の何物でもないことになります。
いわゆる社会的に成功している、お金を持っている人が、勝ち組と言われるのが一般的だと思われます。
でも果たして、社会的に成功していても、お金を持っていても"勝ち"ということになるのでしょうか。
仕事に追われて、汲々の人もいるだろうし、家庭がうまくいってない人もいる。
それは負け組とされている人にもあるのでしょうが、逆に金銭がなくても家庭がうまくいっている人もいます。
さて、どちらが勝ちでどちらが負けなのでしょう?
比較は出来ませんよね。
言葉に踊らされレッテル付けをして格差をつけようという意図が見え隠れしているように私には思えます。
勝ち負けではなくて、その個々人の充足度だと私は思うんです。
競争社会という戦争に巻き込まれて、劣等感と優越感の間で揺り動かされているのが今の私たちではないでしょうか。
それが自分の価値という面で現れてくると思うんです。
一部分が劣っているからといって、全てが劣っていると言うことはありません。
そう思い込むように世間に、世情に思考を操作されているだけなんです。
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